農村における地域保健活動
健康管理事例(1)
-長野県八千穂村-
「日本農村医学会雑誌」第40巻、1991年10月 『農村医学の現状と展望』 102~103ページ
は じ め に
昭和34年以来長期間にわたり村ぐるみでとりくまれてきた八千穂村の全村健康管理も32年経過した。まもなく33回目の厳冬期の健康健診がはじまるところである。
佐久地方の短い夏も終わりつつある8月下旬に八千穂村健康管理合同会議が開かれ,活発に討論が行なわれ,1年間のまとめと当面の重要問題について率直な意見がかわされた。
参加者は村の衛生指導員をはじめ,健康管理に関わる組織の代表,村の理事者および佐久総合病院の健康管理部,各科医長,各職場責任者,院長を含め50人以上である。
村の理事者は,「日本一の健康と長寿の村」というスローガソが1日も早く現実のものとなるようにするという強い決意を示している。
私たち農村保健従事者も,「健康な村づくりの運動はそもそも村人自身の無償の精神から始まった」(若月俊一)という基本にあらためてたちかえり,今後の発展に力をつくしたい。
八千穂村の概況
八千穂村は長野県東信地方にあり山地が多く(76%),村の中央を南北に千曲川が流れ,この川ぞい
に帯状に耕地を形成し,さらに.段丘地をつくって村の中心地域をなしている。村内には24の部落があり,標高740~1,200mと比較的高所に位置している。
それゆえ寒冷期間が長く,最低気温平均がマイナスを示す月が1年のうち5か月に及ぶ。内陸的気侯で平均降水量は1,110 mm と少なく,降雪量は多くはない(15~25cm)が厳しい寒冷の農村地域である。
村の人口は昭和35年の6,227人から平成3年の4,993人へと約20%も減少している。
65歳以上人口は483人(7.8%)から1,004人(20.0%)へと増加している。
全国より約15年,長野県全体より約10年早く高齢化のテンポを歩んでいる。
寝たきり老人は平成3年は14人で,最近10年間の平均は18人程度である。
寝たきり老人の比較は南佐久郡下では低い方である。
これは,寝たきりの原因としてもっとも多い脳血管疾患の著明な減少によると考えられる。
一入暮しの老人は最近は68入とやや微増傾向である。総世帯数は若干増加しつつあり1,338世帯で,平均世帯人員は年々減少傾向で3.7人である。
農家世帯数は817世帯(総世帯数の61%)と減少傾向である。
農業生産はかつての米,養蚕中心から,花き(菊),高原野菜,養豚などに重点が移っている。
村の農業粗生産額は約15億円(平成元年)と横ばいである。
村における産業別人口構成は,昭和35年に第一次は67%であったが,平成2年には第一次は26%に減少し,第二次は38%,第三次は36%である。
農外労働の場は,遠隔地への出稼ぎは比較的少なく,村内他産業,佐久市,郡内の事業所が多い。
村内の工場規模は従業員が9人以下の零細な弱電関係の事業所が多い。
主婦の過半数が内職も含め農外労働につくようになり,家庭生活全体が忙しく,スーパーマーケットなど
も身近にある今日,食生活の面も大きく変化してきた。
すなわち,かつて不足していた肉,卵の摂取量は増加し,魚も内陸地方ながら基準よりも多く摂取するよう
になった。
しかし昭和35年当時は山羊乳が多く飲まれ,乳類の摂取量も多かったが近年はかなりの減少傾向を示し基準より少ない。
果物の摂取量は大幅に増加したが,野菜,とくに緑黄色野菜の摂取量が農村でありながら減少傾向にあり,基準よりも少ない。
漬物その他の塩分摂取量は大幅に減少しているが,それでもなお過剰摂取の傾向である。
食生活全体の変化をみれば改善傾向は明らかであるが,忙しさゆえに簡単に手に入り,すぐ調理できるものを求めがちになり,洋風の食事の否定的な面までもとりこんでしまっている。
とくに子供の食生活も含めた改善がなお必要な時代となっている。
長年の健康管理の成果
長年の村ぐるみの健康管理の歴史を一言ずつで区切るのはかなり無理があるが,大略5年ごとにたどって
みると,
{昭和33年以前}全村健康管理がはじまるまでの基礎の数年間;毎週,村の診療所に若月院長が出張
して診療にあたる
{34年}村と病院の話しあいのなかから全村健康管理はじまる
{35~39年}健康の実態がわかりその対策に全力を入れる
{40~44年}兼業化のなかで農家の主婦の疲労や農薬中毒,農業機械によるケガなど新たな健康障害が増える
{45~49年}村の医療費が減り「予防は治療にまさる」ことを実証する
{50~54年}リハビリ訓練の開始と学童の健康管理を充実する
{55~59年}がん死亡が増え予防対策をいっそう強化する
{69年~}がん予防対策の充実と高齢化社会への対策に力を入れる,とまとめることができよう。
こうした歴史的なとりくみを続けることによって,いくつかの成果をまとめることができる。
健康の状況では,病気がありながら気づかずにいたり,気づいてもこれをがまんし,医師にもかからず放置していることすなわち潜在疾病が減少して医師の加療をうけるものが増加した。
手おくれになる人も減少し,それによる死亡も減った。高かった乳児死亡率,周産期死亡率を他地域に先がけて改善し,母子衛生全体の改善がすすんだ。
脳血管疾患,呼吸器疾患,老衰で死亡する人が減少した。
さらには農民体操を考案実施し農夫症症状を改善したこと,感染症,栄養代謝疾患が減少したこと,貧血,高血圧の人も減少したことなどもあげられよう。
それにともなって年間1人あたりの国保医療費が他町村と比較し大幅に安くなり(昭和50年には南佐久郡58,155円に.対し,八千穂村39,743円で18,400円ほど安かった)
「予防は治療にまさる」ことを数字で実証した。
最近の村の医療費の動向は,南佐久郡下の各町村も八千穂村にならって熱心に健康管理活動にとりくむようになってきており,大きな差はなくなってきている。
老人医療費についてみると,平成元年度は八千穂村老人1人あたり394,684円であり,同年の全国老人平均558,439円より約164,000円低くなっており,最近10年間の老人医療費は一貫して低い金額である。
村民の健康な村づくりの運動
村の健康管理の運動を文字どおり全村ぐるみのものとするためにいくつかの有機的な組織がつくられている。
とりわけ村民の中から選ばれた代表,すなわち衛生指導員の自主的な活動こそが真に住民のものとする
ために重要であった。
この衛生指導員は発足当初は8名で現在は14名,全員男性である。
任期は4年であるが,再任される人もあり,これまでの平均は10年(最長22年,最短4年)である。
環境衛生の分野から,近年は各種検診のはたらきかけ,健診当日の設営,世話役活動,健診の前の部落懇談会準備,学習・調査活動など広範な健康を守る運動を展開している。
また昭和59年より実行委員会形式による健康まつりが開かれているが,そのもっとも重要な担い手であり,そのなかで毎年自分たちでつくった演劇を上演し,健康の大切さを説いている。
また近年,村のポランティアグループが自主的に託老所を開設しているが,そこへ参加する老人たちの送迎なども行ないはじめている。
衛生指導員の活動とも連携をもった婦人の組織として婦人の健康づくり推進員(41人)が昭和59年には設置されている。
任期は2年で交代制である。
さらに各部落には衛生部長もおり,冬の健康健診の時などは衛生指導員のリーダーシップのもとこの三者が協力しあっている。
村のあらゆる組織が協力しながら実行委員会形式でつくる「健康まつり」は南佐久地方ではもっとも早い
ものである。
「日本一の健康と長寿をめざして」のテーマのもとに四つの部会すなわち「住民自らの健康管理」「これからの健康管理」「社会生活と健康を考える」「子どもの頃からの健康」に各組織が分担して参加し,手づくりでつくりあげていく。
当日はもちろんにぎやかに行なわれるが,何よりもまつりをつくりあげてゆく過程の苦労そのものが村人たちの連帯感をいっそう深めていっている。
近年,地道に老人,身障者,入院患者へのボランティア活動を行なってきた婦人のグループが自分たちの手
で託老所を開設した。
現代のもっとも重要で困難な健康問題に自らすすんで参加するグループがでてきたことは大変注目すべきことであり,行政や専門家との連携も強めてゆくとさらに発展し継続性のあるものになる可能性がある。
村の健康管理の課題
八千穂村の健康管理のこれからの課題をまとめると,以下のようになろう。
①死亡率で著明に減少した脳血管疾患にかわり,癌が急速に増加し,心疾患も増加していることへの 強力な対策をとること。
②肥満,高脂血症,糖尿病など,現代の食生活を含めたライフスタイルと深い関係のある健康問題を 改善するために本人および地域ぐるみの対策をとること。
③老人,障害者の地域ぐるみのケアを強めること。
④これらの対策を上からの発想だけでなく,住民の自発的・自主的な学習を基礎にして充分な討論を つみ上げたうえで実行していくこと。
⑤何よりも村の生活そのものが生き生きとしたものになるように村人が立ち上がることが大切である。
(西垣 良夫)
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