コミュニティ・ヘルスケアにおける

保健リーダーの育成について


副院長 西垣良夫

何故保健リーダーなのか

 地域における健康を守る運動、健康な地域づくりにおいて、住民自らが自覚的にその主体的な役割を果たすことが大切であると多くの人が認めている。

このことは「健康日本21」をはじめ近年のヘルスプロモーションの政策などにも、国際的な潮流を研究する中で、総論の中でも反映され、形の上では共通認識となっている。

 例えば「健康日本21」の地方計画を策定する際の理念として、

(1)住民第一主義……地方計画において最も大切な理念の一つは、住民第一主義である。

これは住民が地域における健康づくりの中核に位置づけられることを意味する。

この理念は、地域レベルだけでなく、学校や職場での健康づくりでも同様である。

(2)住民の能力向上……次に大切な理念として、住民の能力向上である。

そのためには従来の専門家主導の健康づくりではなく、住民の主体性を重視し、住民自身のセルフケア能力を高めるような支援をしていくことが必要である。

(3)環境整備の重視……健康は個人の努力のみで実現できるもので牡なく、社会環境の整備、資源の開発が必要である。

住民が自分の健康に気づき主体的に健康づくりをすすめていくことができるような環境整備を重視する必要がある。

(4)住民参加……地方計画の策定、実施、評価のすべての場面において、住民が参加し、決定のプロセスに関与することが重要である。

一方、健康づくりは、住民が行政に依存せずに、自分たちの役割を自覚し行動する過程を重視していくこと
が大切である。

住民を含む関係者が、科学的な事実に基づいて効果的な事業を選択し、地域それぞれの健康特性や、健康に関連した資源の配置状況を明確にするなど、全体の経過を共有していくことが求められる。

と明瞭に謳われている。

だが実態はこれとは全く異なる方向で計画づくりが多くの自治体で進行した

多くの自治体では、地域のさまざまな組織の長や、保健・医療・福祉の関係者が参加する審議機関が設けられたものの、役場であらかじめ素案が作成された「健康日本21の地方計画(案)」を数回の会議で微修正し、形式的にパブリック・コメントを募集し作り上げてしまう。

このような経過のところが多い。

中には、たたき台をコンサルト会社がほとんど作成し、後は形式的に承認するのみというところもあった。

 それゆえ、日本中の自治体が金太郎飴のごとくほとんど同じ内容の地方計画となった経緯がある。

その地域ごとの特性や歴史的経過を考慮したものが少ない。

そこには、地方計画を作成する際の国の指導もあったと思慮されるが、自治体そのものにも、このことの基本的な理解が弱かったこと、さらには住民自身にも自治の精神の成熟が未だ道遠しという現状のあらわれとも考えられる。

 第二次世界太戦後、60数年を経ても、未だ日本の多くの自治体の実体を見れば紆余曲折の道が必然であろう。

教育や地域産業の活性化、地域文化の育成、街づくりなどをはじめ、具体的な課題に関して、さらなる苦労の積み重ねの道が必要な時代ともいえようか。

 日常生活のさしせまったざまざまな困難、課題に直面した場合に、その地域、その課題についてはある時には自然発生的な改善運動が起こることはしばしば経験される。

「ご近所の底力」がメディアの話題になることもある。

例えば公害問題などでは都市においてはよく経験された。

ご近所のお互いの理解不足やちょっとした行き違い程度から発生するものは、比較的穏やかに話し合えば解決の方向に向けて話が収まる。

 しかし、ことが巨大な産業や産業界全体に関わること、国家政策に関わること、ましてや国際的な問題になればことは単純には収束しない。

場合によっては数十年、時には数世紀にわたる持続的な取り組みが必要になる。
このようなものは一時期の取り組みでは解決の糸口にも至らず、弱い立場の住民は物言わぬ住民になりかねない。

「長いものにはまかれろ」となってしまう。

ここでは、専門家の責務は重大である

少なくとも彼らは物事を歴史的に捉え、巨視的に、時には分析的にとらえる訓練を経ているのであるから。時には大胆な提起も必要である。

 このような社会的、歴史的制約のもとでは、地域全般に健康に対する自覚的な意識のもと、一律に向上の方向に向けて歩みを進めることは現実的な困難が大きい。

もちろん健康課題に関するいわばポピュレーション・アプローチも重要だが、健康問題に関心のある人たち、
さまざまな自主的な活動についている人たちや意欲のある人たち、地域の信望の厚い人たち、それもさまざまな社会背景、考え方もさまざまな人たちが、役場保健師や保健・医療こ福祉の専門家たちとともに系統的な学習、具体的な実践の積み重ねを繰り返すことにより、飛躍的な成長をお互いにすることができる。

そして、地域の人々への影響力は、専門家よりも、長い目で見るとはるかに大きいのである。

地域や歴史を粘り強く動かすのは専門家ではなくそこに暮らす人々なのである

 


保健・医療・福祉の専門家と住民との関係

 地域に暮らす人々は、健康に対するさまざまな素朴な要求を抱いている。

例えば2008年度から実施された「後期高齢者医療制度」や「特定健診・特定保健指導」にしても地域の人々には制度そのものの公の文書を読んでも分かりにくい。

役場から来る説明の文書を見ても何だかよく分からない。

一体この制度では自分自身はいくらの保険料が年金から天引きされるのか、いや天引きされることも知らない人もいる。

4月15日の年金支給日に年金から天引きされた金額の多さを見て驚いた人も多い。

「4.15ショック」ともいわれる。

どんな医療が受けられるのかもピンとはこない。

 「後期高齢者」と言われると何やら機械的に線引きされたような気がするが、「長寿」と言い換えられても名前を変えただけで、長生きが社会から喜ばれるのだろうか。

本当のところはどうなのだろうか。

生活習慣病予防が大事なことはわかるがこの制度でどのようにそれが可能なのか。

これまでは75歳以上の人も老人保健法では健診が受けられたのに、新しい制度では対象の枠からははずされている。

この人たちはどうすればよいのか。

がん検診はこの制度とは別になるが、生活習慣病の予防にはがん予防は入らないのだろうかなど、素朴な疑問、要望がある。

 専門家でさえ少し分野が異なれば、的確に説明できないことが今日では増えてきた。

しかし、専門家の強みは関連する専門家同士に聞くことや、相談しあうネットワークを持っていることである。

専門家同士はその世界でしか通じない業界用語でことがすむ。

一般の方々に対して、難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを明るく説明することが肝心なのである。

このことを繰り返し、繰り返し行うことは専門家自身の理解を一層深め、また生きたものになる可能性を秘めている。

 地域の人々の健康への素朴な要望を、役場保健師や保健関係者はその専門的力量を駆使して、客観的な要求へと高めていく共同作業者としての役割が強く期待されるのである。


保健リーダーの例

 地域における住民の中の保健リーダーについては、若月俊一らによりロシアや中国の例が報告されている.わが国では自由民権運動が盛んであった時代に、長野県松本市において一時期に同様な活動が見られたとされる。
自由民権運動が時の政府の弾圧のもとに衰退の道をたどると、歴史から消えていった。

国際的には1978年にアルマ・アタにて開催されたプライマリ・ヘルスケアに関する国際会議以降、特に発展途上国を中心にさまざまな国々、地域でこの取り組みが最も重要視され今日に至っている。

 長野県の八千穂村(現在の佐久穂町)の衛生指導員については、若月俊一や松島松翠らにより、その内容や歴史的意義についてたびたび報告されている。

ここでは、松島が2005年にアジア農村医学会議で報告したものが簡潔に特徴を描いているので、その内容を以下に記す。(一部省略)

 「私どもは、過去数十年の間、農村の各地で住民の健康管理に取り組んできた。

その結果分かったことは、住民の健康管理を効果あらしめるためには、単に行政や医療機関が、ただ上から健康管理を実施していくのではなく、住民の中に健康管理に携わる活動家を育て、一緒に進めていくことが大切である。

つまり、健康管理活動への住民参加が必要になる。

全村健康管理の中で大きな役割を果たしているのが、「衛生指導員」(現在は「健康づくり員」)である。

任期は4年(現在は2年)であるが、再任も可で2~3期続ける人も多い。

当初は8名だったが、現在は15名(最近は26名) いる。

それぞれ1ないし3区受け特って活動している。

彼らは役場の職員ではなく、普段は自分の職業を特っている。

例えば、農民、自営業、会社員などである。

つまり彼らは住民から生まれた地域の保健リーダーである。

 衛生指導員の主な役割は、担当地区での健診のピーアールとその準備と手伝い、健診報告会の運営、各地区での保健学習会の企画と実施、演劇活動による住民への健康教育、地区ブロック会でのリーダー役、環境衛生への協力、村の『健康と福祉の集い』における発表などである。

これは村と共同でやるものもあり、また自主的に自分たちで取り組んでいるものもある。

衛生指導員の活動の中でもっとも特徴的な活動は、演劇による健康教育活動である。

劇で問題提起をしながら、住民と一緒に考え、一緒に話し合うという、一つの健康教育形式である。

演劇のレパートリーはすでに40以上になっている。

農村で実際に起こっている身近な(健康)問題を取り上げている。

 衛生指導員は専門家ではない。

従って地域で健康管理の活動をしていくためには、衛生指導員自体が、ある程度の医学的知識を持つ必要がある。

そこで、衛生指導員たちの教育のために、佐久病院や地元の公立病院、役場から医師や保健師、技術者などがしばしば出掛けて、保健学習会を開いている。

地域の保健活動家に対して、できるだけ援助することは、医療機関の任務である。

 地域で健康管理を進めていく場合、ただ行政や医療機関が上から進めていくだけでは、住民は常に受動的であり、自分たちで積極的に取り組むようにはならない。

住民が積極的に健康管理に取り組むようにするには、住民自身がその活動に参加することが必要である。
そのために健康管理に携わる地域の活動家を育てることが必要になる。

このことが、村の健康水準を向上させ、結果的に村の医療費、中でも老人医療費を全国水準の70~80%に減少させるなど、大きな成果を上げている」

 また、医療機関に働く人にとっても地域に出て行くことは、特に若い人たちの成長にとり大きなインパクトがある。

病院の中で、患者と医療従事者という関係では、どうしても対等という意識が薄れやすい。

ところが、地域では住民は遠慮がない。

特に、真面目な会議の後にお酒も入った交流の場でもあれば、医療従事者に対して率直な意見、批判も出てくる。

時にかなり厳しい論争にもなる。

しかし、こうしたやり取りこそが大事なのである。
村の人が意見を言うことは医療従事者への期待の現われでもある。

少しの期待もなければただ押し黙るのみである。

また病院の中にいるだけでは見えにくい住民の暮らしの様子、社会的背景が、全てではないにしろより見え
やすくなる。

患者をより広い視野からみることにもつながる。

 現代の若い人たちには定時から定時までが仕事で、それ以外は自分の時間という気持ちが強い。

もちろんこのことは、ただでさえ過重労働の側面が強い医療従事者にとり、一種の煩わしさの側面もあろう。しかし、現代の「医療崩壊」をはじめさまざまな医療課題の解決の方向に舵を切るためには、地域に暮らす人々、国民の強い共感、応援がなければ医療従事者自らのさまざまな切実な要求も、前進する見込みは薄いのである。


ソーシャル・キャピタルの面から見た八千穂村の住民主体の活動

 近年、社会学の面からのみならず、公衆衛生学的な面からもソーシャル・キャピタルが注目されている。

ソーシャル・キャピタルの良好な地域、組織は健康状態も良好であるとの報告が散見される。

一橋大学社会学部の徳永亜紀子は2005年度卒業論文として「住民主体の地域保健活動のために~長野県八千穂村を事例に~」を纏めている。

この論文は筆者もディスカッションに参加したものであるが、これまでとは異なった切り口からの考察であり、大いに参考になるものとしてそのポイントを紹介する。

 ソーシャル・キャピタルの概念そのものはまだ議論が多くなされている最中でありここでは深くは立ち入ることはしない。

徳永は「ソーシャル・キャピタルとは、特定の社会の中に内在もしくは形成される

人と人との信頼関係』、

人々の間に共有されている規範』、

人々の間を取り結ぶネットワーク

などを指し、

『当該社会内部あるいは社会間における、人々の協調行動を活性化させる人的つながりや信頼、ネットワークなどの社会的要素』」

と定義づけている。

この定義はコールマンとパットナムらの定義を複合させたものを基本としている。

「ソーシャル・キャピタルを効果的な地域保健活動を行うためのツールとして活用できる可能性」に意欲的に
挑戦したわけである。

 ここで、ソーシャル・キャピタルを二つのタイプに分類している。

一つは「内部結束型ソーシャル・キャピタル」とし、もう一つは「橋渡し型ソーシャル・キャピタル」とする。
「前者は、コミュニティや住民組織などのグループ内の協調行動を促すものであり、後者は、組織・コミュニティと行政・専門家などの関係機関との水平および垂直のネットワークを構築するもの」としている。

 徳永がまとめたポイントは「八千穂村の内部結束型ソーシャル・キャピタルは、衛生指導員などの住民組織の人々のつながりや、村民同士のネットワークがあげられる。

住民主体の健康管理活動は、一人ひとりがバラバラに行動するのではなく、住民を組織化して、一体となって活動することでスムーズな活動が行われ、より高い成果につながる。

住民同士に交流がなく、人間関係が希薄であれば、お互いに協力し合うという意識が生まれず、住民の組織化、組織活動の継続が困難となるが、八千穂村では、これらの住民同士のつながりや絆といったものが強く、また、健康管理活動によって強化されていったため、住民の組織化がスムーズに行われ、継続した組織
活動に発展していったと考える」。

 そこでこれらの形成要因として次の項目を挙げている。

①赤痢の流行や佐久病院の巡回診療によって高まっていた住民の健康意識(詳細は省略、以下同じ)、

②農村特有の相互扶助の精神、

③地域に影響力のある人の取り込み、

④健康管理活動によって培われた住民組織内のネットワーク、

⑤組織活動自体の楽しみ、

これらの要因により八千穂村では住民組織の内部にソーシャル・キャピタルが形成され、このことにより住民の組織化、継続的な活動が促進されたと見ている。

 もう一つの「橋渡し型のソーシャル・キャピタルが形成されたこと」にも注目している。
この形成要因としては次の項目を挙げている。

出張診療によって培われた佐久病院への信頼(詳細は省略、以下同じ)、

行政、病院による適切な住民支援

住民組織同士の交流の場の存在

飲み会などでのコミュニケーション

これらが異なる組織同士の連携を強化し、スムーズな健康管理活動を促したと見ている。

ここで徳永はさらに橋渡し型ソーシャル・キャピタルを「水平的」と「垂直的」とに分けて検討している。

前者は、社会的立場や権力がほぼ同じ主体間の関係であり、後者は従属やヒエラルキーを含む異なる
権力関係を表す。

 ともすると「垂直的」なものは長続きせず、「水平的」なもののみ持続可能であるという有力な考え方が、社会学の分野で強くあった。
しかし、健康管理活動も含めプライマリー・ヘルス・ケアにおいては、行政、医師、保健師などの専門家、住民という異なる社会的立場や力関係のアクターが協力して活動することが不可欠であるため、「水平的」のみならず「垂直的」なソーシャル・キャピタルを考慮することが重要と指摘する。

 徳永は「八千穂村では、衛生指導員、婦人の健康づくり推進員、栄養グループなどの住民組織同士のつながりが見られ、それが『水平的』ソーシャル・キャピタルということができる。

また、これらの住民組織と行政や佐久病院とのつながりが『垂直的』ソーシャル・キャピタルといえる。

 八千穂村では40年以上にわたり行政、病院側と住民組織が協力して健康管理活動を続けており、異なる社会的立場や権力関係の間同士でもソーシャル・キャピタルの形成は可能であるということができる。

では、なぜ八千穂村ではこのような『垂直的』ソーシャル・キャピタルの形成ができたのか

まず、行政、病院側の意識があげられる。

八千穂村では、行政、病院側が上からの健康管理にならないように、住民主体の原則を常に心がけていたことが重要なポイントではないだろうか

病院のスタッフや、活動内容は(長い歴史の中で)変化があっても、この住民主体の原則を大切にするという意識はしっかりと受け継がれているように思われる。

医師へのインタビューの際に、病院は裏方に徹し、住民が主役であると述べていたことや、医師が患者を対等に扱い、傲慢な態度をしていないところからもその意識が感じられた。

このように、八千穂村では、『上位』の立場にある病院や行政が住民主体という原則を守る意識を持ちその考えを病院、行政の組織の内部で受け継いでいったことが、『垂直的』ソーシャル・キャピタル形成を可能にした要因と見る

 さらに、八千穂村では、健康管理活動のあとには毎回のように病院側の職員と住民が一緒になってお酒を飲みに行ったり、演劇活動に病院の医師や保健師が参加したりと、仕事を超えた交流がさかんに行われた。

このように仕事を通じてだけではない付き合いが行われたことで、人間同士が対等な関係へと変化していったのではないだろうか。

 八千穂村ではこの『水平的』と『垂直的』の両方の橋渡し型ソーシャル・キャピタルがバランス良く形成されたことが、「住民主体の健康管理活動の形成要因」と結論付けている。

 若い方の研究でもあり、まだまだ図式的、表面的な理解に止まるところはあるものの、これまでにはない視点から八千穂村の住民主体の健康管理活動に接近しようとする試みは、私どもも大いに学ぶべきところがある。

公衆衛生分野のみならず、社会科学的な研究がさらに期待されるところである。


佐久地域保健福祉大学の心

 佐久地域保健福祉大学はその前身組織から数えると、本年で二十年の節目を迎える。

すなわち、「佐久地域保健セミナー」と「お年寄りのケアセミナー」とを発展的に解消し合わせた形で「セミナー」から「大学」へと大きく羽ばたくものとして受けとめられる側面もある。

後者は、時代のニーズもあり、高齢者のケアの技術とその心を実践的に地域の人たちにつかんでいただけるようなセミナーであった。

それに対して前者は数年間の準備期間を要し、その設立にはかなり手間取りながら進んだ。

 このあたりの経緯は佐久病院の元事務長の飯島郁夫氏の文書に詳しい。

同じ長野県厚生連の小諸厚生総合病院の「実践保健大学」が県内では先達であり、さらに医療生協である群馬県の利根保健生協の「生協保健大学」が、日本では最も早くこのような組織の先輩である。

これらの組織の設立に関わった先達から学んだことは勿論であり、実際に現地にも見学に行き住民の方ともディスカッションを行い、その心を学んできた。

 いろいろな準備の末に、「佐久地域保健セミナー」をつくりたいとの提案に対し、当時の若月院長からは保健の「活動家をつくりたいのか」と怪訝な顔をされるのである。

社会のさまざまな分野の「活動家」に対する、尊敬と合わせて警戒の念との二つの面からの、直感と批判の目を持っていたと受けとめられた。

やるからには、真に地に足をつけたものをやるべしとのサインとも受けとめられた。

この取り組みは少なくとも三十年、あるいはもっとかかって、少しでも健康な地域づくりに関わる動きにしようと心に刻んだ。

 若月院長の了解がなかなか得られないとき、八千穂村の衛生指導員を長く担当された方の一言が効果あり、その後は少しずつ道は切り開かれていった。

発足十数年後ぐらいまでは、どの地域で、どの分野で、このセミナーの同窓生が活躍しているか、大体は承知していたが、今日では、思わぬところで同窓生が頑張っているということを後で知るぐらいにまで、運動の輪が広がりつつある。

 機が熟したと思われたときに、いよいよ「佐久地域保健福祉大学」の設立を提起し、了解か得られた。

この「大学」の運営委員には佐久病院職員や保健福祉関係者のみならず、地域の方々(過半数を占める)にも多く参加をいただいて発足することができた。

初めての運営委員会(2003年8月)やその後の「大学」第一回の開校式には、次のような「大学」の志を心からの思いとしていつも話す。

 現在、この世で存在する世界の大学で、最古の大学はイタリアのボローニャ大学である。
ボローニャはイタリアの北部の農業地帯にある人口40数万人の都市で、人口の4分の1が学生という大学都市でもある。

設立は今から900年前のこと。遅れること数十年後にフランスのパリ大学が設立された。

どちらの大学も現在、世界でも著名な大学でもある。

両者の最も異なるところは、パリ大学は学生に教えたいと考えた先生たちが組合を作って設立したのに対し、ボローニャ大学は勉強したいと考えた学生たちが組合を作って設立したというもの。

時代は中世であるので、教会が絶大な力をもっていた。

 当時のギルド(同業者組合)はパン屋、靴屋などそれぞれの同業者が強い結束力を持ち、徒弟から職人、親方へと三段階にわたる徒弟制度の中でもの作りの知識や技術が伝えられ、集積されていった。

そのなかで、例えば、靴を作る人が、もし釘の打ち方がまずくて、靴を買い履いた人に怪我をさせてしまったとしたら、果たしてその責任はどのようになるのか。

自分たちはどのようなところまで責任を負わなければならないか。

そのようなことを、靴に釘を打つたびに考えていたらとても仕事にはならない,そこで彼らは法律の専門家たちを呼んで研究させ、自分たちに教えてもらおうと学生の組合を作って始めたのがそもそもの始まりである。

現在でもボローニャ大学は世界の法律のメッカでもある。

 このような、法学、文学、医学といった教室の連合体がウニベルシタス、今日のユニバーシティになる。

このウニベルシタスの最高責任者は学長であるが、学生が就任する。
学部長も事務長も全てボランティアで学生がなる。

つまり勉強したい方が運営し、責任者も出す。

現在のボローニヤ市議会も議員は基本的にボランティア。

河川清掃は皆でやるのと同じで、議員だからといって偉いわけではない。

実費以外に議員報酬はない。

こうしたルールは大学の伝統からじわじわと地域の伝統に広がっている

 大学の構成員は皆、対等の権利と義務を持っている。

大学の規則は自分たち自らが決め、その規則を破ったら罰金を払う。

その罰金が大学の財源で、たくさんの罰金を払った人は学年末に皆から拍手をされる。

このような歴史を長く繰り返し、総意のもとで改革が進む。

このような中で自治の精神が育まれてくるのである

この大学の中で、あれほど教会の権力が強い時代にあっても、世界で初めて医学の基礎である解剖学の授業が行われたりもしている。

自治、自律、自覚的な姿勢を学ぶのも大学であると

 『人々は個人または集団として自らのヘルスケアの企画と実施に参加する権利と義務を有する』とうたったプライマリ・ヘルスケアの原則にたちかえりたい

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【注】太字、改行はホームページ作成者がさせて頂きました。