日本の農作業事故による死亡者数は、昭和46年を100として、平成21年の408人、112.1%と毎年400人前後とほとんど減少していない。 一方、労働災害は同じ46年を100として現在は平成21年度には19.4%にまで減少している。 とくに危険業種といわれる建設業では、昭和46年の2,323人から平成21年には371人と16.0%まで減少している。 この違いは、労働災害の場合、雇用労働が中心であり、法的な規制の対象となっており、労災の発生件数はもちろんのこと、原因の究明、個別の改善勧告、さらには同じ業種に対する法的な網で一斉に規制され、徹底して事業主責任が追及され、各事業所において労働安全運動が組織的に行われている。 一方、農作業災害や農作業事故は、日本の農業そのものが圧倒的に個人労働、家族労働が中心であり、法規制の対象外となっており、一体、日本における農作業事故が何件発生しているかすら、今日把握されていない。 まして、事故原因の究明もされず、その結果何を対策していいのかが分かっていない。 このように、件数や事故原因が究明されていないため、事故の経験が農業機械の改良や安全対策に組織的に結びつくことが極めて少ない。 このため、労災での事故防止の有効な考え方、例えばリスクアセスメントの考えを導入しようにも、農作業事故の実態が把握されていないので何がリスクになっているのかも十分に分からず、さらにKY運動(危険予知運動)を行うにも、何が危険なのかも分かっていない。 さらに、ヒヤリハットから事故防止をしようにも、農業自体が個人労働のため、事故がそれぞれの個人の情報となっていて、多くの農業者の共通の財産になっておらず、そのため、労災のごとく事業所ぐるみ、組織ぐるみの安全運動とはなり得ていない。 さらにヒューマンエラーを無くするのが労災防止の重要な観点の一つであるが、労災の対象者が60歳以下の就業年齢の者が中心であるのに対して、農業従事者は60歳以上、70歳以上で圧倒的多数を占めている。 つまり、もともとエラーを起こしやすい年代の者が中心的に農作業を行っている。 特にこれらの年代は、身体的な衰えのみならず、筋骨格系の疾患や内臓疾患など多くの身体的問題を抱え、さらに認知や判断力の低下した年代でもある。 もしヒューマンエラーを根本的に無くするためには、これらの年代の者に農作業をさせないのが最も近道である。 しかし、そのことは現状の日本では、とりもなおさず「日本の農業はやめましょう」、と言うのに等しいことである。 このように、農作業事故の実態がよく分からないのであるが、全く農作業災害、農作業事故調査が行われてこなかった訳ではない。 平成12年度を調査年とし、全共連が日本農村医学会に委託した、農作業事故調査では、全国1道8県(北海道、岩手、埼玉、長野、富山、兵庫、愛媛、福岡、佐賀)の全共連の各県本部の生命共済、傷害共済の証書より農作業事故を抽出する方法で事故調査が行われ、その時収集された事故件数から、全国の農作業事故件数を推計すると、年間の事故発生件 数は、約45,000件、死亡者数約450人であった。 また、富山県農村医学研究会では昭和45年以来医療機関および共済データにより、また北海道の農作業安全運動推進本部では、昭和50年以来共済データにより事故情報を収集している。 さらに、これまで日本農村医学会等の関係機関が、長野県や秋田県、滋賀県、山口県、高知県などで断続的に事故情報の収集を行ってきた。 その結果、全国的に共通して多数事故が発生している農業機械や用具・手具があり、これらの上位5位までの機種などの事故で6割強が発生しており、これらの事故を集中的にたたくことにより、農作業事故を半減出来ることなどが明らかとなっている。 さらに、事故が圧倒的に高齢者に集中して発生していることも明らかとなり、単に農作業事故防止の方策を考えるのではなく、高齢者中心の農作業事故防止をすすめるべきであることを明らかにしてきた。 また、事故の実際がいかに起こっているについて、事故現場に直接出向いての調査、ケーススタディも富山県農村医学研究会や長野県の佐久総合病院をはじめ、全国の農業機械士協議会などが行っており、事故の直接、間接的原因究明が行われてきた。 ただし、これらの調査は、一部地域に限定され、また調査方法も統一されておらず、また折角得られた情報が共有化されるず、必ずしも全国的な農作業安全運動に直結することがなかった。 今回、農林水産省の補助事業としての「農作業事故の対面調査」は、全国共通の調査方法で、全国さまざまな地域での事故について、ケーススタディ的に農作業事故調査を実施し、個別事例から今後の安全対策に直結出来る課題を見いだそうとする調査である。 調査において日本農村医学会の農機具災害特別プロジェクトの医師を含めたメンバーや生研センターなどの農業機械の専門家集団、さらには各地域の農業機械士協議会のメンバーによる調査協力を得て、多方面から事故を検討できる体制で行った。 さらに、調査を開始する前に、全国の調査担当者が一同に会して、調査の視点、方法の統一を図り、かついくつかの地域の調査には、直接専門家が調査指導に当たり、調査の視点の明確化を図った。 調査では、受傷者本人、さらに死亡事例では遺族への聞き取り、さらに直接事故現場に出かけの現場検証を行った。 また、調査終了時点で、全国の調査結果を各地域の調査担当者とおよび専門家も交え、2日間にわたり、各地域の事故の個別事例の詳細報告と問題点についてのディスカッションを行い、問題の洗い出しを行った。 このような、規模と内容の農作業事故調査は日本国内では初めてのことである。 この成果により、労働災害防止での手法、例えばKY運動における「危険」が何かが浮き彫りにされ、労災と同様のレベルでの事故防止のスタートになれば幸いである。 なお、本報告書の構成は次のようである。 はじめに 第1章 経過と調査方法 第2章 調査結果の概要 第3章 調査結果から得られた問題と課題 個別報告 :農機事故、農機外事故の種類別報告 の順であり必要に応じて利用していただければ幸いである。 全国農業機械士協議会 会 長 伊藤一栄 第1章 結果の概要 1.調査対象者の選定と概要 今回の調査では、農作業事故の情報が元々少ない中、事故に遭った人そのものを探し、選定する困難がつきまとった。 いくつかの地域では、農業労災の事例から、事例を選定し、さらに本人の調査協力に対する了解を取った。 また、地域の農協の協力、また農業機械士会の協力を得たり、また縁故を頼ったり、個人的に入手した情報を手がかりに事故情報を得て、本人の了解をとる作業に困難が終始つきまとった。 このように、公にされている一般の労災とは異なり、ほとんどが個人や家族の責任とされる農作業事故調査は、まさに、組織的な調査には到底およばず縁故・知人を頼るレベルで行わざるを得ない状況である。 いずれにしても、いつの日か農作業事故が個人や家族責任ではなく、農作業事故の社会化、つまり農作業事故が社会的責任とされる日が来ることが、切に待ち望まれる。 このことが、真に実態に基づいた有効な事故対策に結びつくと考えられる。 以上のように系統的な事故情報源がなかったので、事例選定に当たっては、とくに事故の多いトラクターや草刈機などに限定せず、農作業事故であればどのような事故でも対象とすることとした。 2.事故事例の概要 (1)地域別事故事例数 各地域の農業形態を分類しがたいものもあったが、表1のとおり分類した。 収集された事例は153例であった。 この表が地域農業の実態ではないが、ある程度反映していると考えられる。 概観すると、水稲や畑作に関わる事故は全国くまなく発生している。 果樹は、愛媛、長野などで、また酪農などは北海道、岩手などである。 管理と分類したものの多くは、草刈りである。 除雪は降雪地帯にとって農道確保や施設の保守にとって重要な作業である。 新潟から報告があるが、今回の事例ではないが、最近汎用されている除雪機での指の切断、巻き込まれが多く発生している。 (2)性別、年齢別事例数 性別、年齢別件数は表2のとおりである。 北海道の1事例は、十勝の酪農公社での聞き取りで、そこに働く多くの方々の報告であり、1例1報告書となっていなかったので、この年代別の表からは外した。 <最年少事例 19歳> 最も若い事例は、北海道の酪農青年である。 就業して2年目であり、ワンマンハーベスターの清掃中に牧草搬送チェーンに右足を羽交い締めにされ、断裂したものである。 このハーベスターは1年前に導入したものであり、不慣れな要因もあったが、個別事例で述べるとおり、機械を開発したメーカーの設計ミスが大きく、有為の青年の大きな未来を奪った事例であった。 <最高年齢事例 84歳> 一方、最高齢は、長野県と滋賀県の84歳の事例である。 長野県の事例は、耕耘機をトラックから歩み板を使ってバックで降ろす際、ギアがバックとなっていると思っていたが実際はニュートラルになっており、そのために一気に下り、はね飛ばされたものである。 また、滋賀県の事例は、トラクターで棚田地帯で一枚の田の耕起を終え、次にすぐ上の田を耕起のため小道を上る際(斜度11°道幅1.0m)、ブレーキの連結ロックをせず、坂道をロータリーを上げたまま走行中、3m下に転落した事例である。 本人は、通常このようなところを走行する場合、ブレーキの連結ロックを掛け、かつ作業機を降ろして走行しているとのことであった。 長野県の事例で、ギアが確実に入っているか確認作業の怠り、滋賀県の事例は、すぐ近くの田に移るとの意識で、いつもは行なっている安全手順の怠りである。 このように思い込みや手順の手抜きは、若年者でも当然起こることである。 しかし、高齢になるに従い、集中力の欠如や緊張感の継続が困難となる。 とくに、高齢者では、一つひとつの作業に移る毎に、いつも行なっている作業であっても「これでいいか」、「これでいいか」の安全確認の繰り返しが必要である。 もちろん、若者に作業を替わってもらうことや、環境を高齢者作業に優しいものに替える、高齢者仕様の機械の開発など抜本的対策は当然必要なことである。 (3)農機機種別、用手具等別事故事例 平成12年の日本農村医学会の全国調査では、最も事故事例の多かったのは草刈機によるもので、収集された農機事故3,750件中、18.3%を占めていた。 次いで、トラクター15.4%、軽トラ9.4%、コンバイン5.7%、耕耘機5.1%、チェーンソー5.1%の順であった。 今回収集した事例のうち農機事故は116件、うち草刈機事故が19件、16.4%、次いでトラクター15例、12.9%、稲コンバイン14例12.1%、 耕耘機10例、8.6%、チェーンソー・田植機それぞれ5例4.3%、軽トラ4例、3.4%であり、期せずして全国調査の傾向と多少違いはあるものの同様の傾向の抽出事例となった。 表3.農機事例 農機外事例は37例で、全国調査と同様、脚立、はしごの事故が上位を占めた。 後にも述べるが、今回、初めてこれらの事故の詳細が明らかになり、改めて農作業現場での脚立・はしごの安全使用に関する科学的な研究が必要と思われた。 なお、その他圃場やそれに取り付いている傾斜面、道路などでの歩行や納屋などの施設内の移動、作業での事故も取り上げられた。 今、街中では「高齢者や障害者に優しいまち作り」が盛んに叫ばれ、さまざまな施策が福祉対策として講じられている。 しかしながら、今日最も高齢者が多く働く農作業現場で、「高齢者に優しい農作業現場づくり」の考え方が一向に出てこない。 福祉関係者の目をぜひこのような現場にも向けてもらいたいものである。 生き物では、牛が多かった。 とくに、北海道、岩手などの畜産が盛んな地域での報告である。 牛の場合、人間と環境と牛の性格のコンビネーションが上手くいかないと、常に牛からの攻撃、あるいは思いもよらない行動から、体重500kg以上もある牛に襲われることとなる。 このように、今回は各地域で任意の事故抽出ではあったが、平成12年の農村医学会が行なった全国調査の事故事例割合に沿うような事故が抽出され、ケーススタディ、対面調査が実施できた。 なお、死亡例も何例か含まれたが、実際の調査では何故、事故に至ったか、何故そのような判断をし、操作をしたか、あるいは行動を取ったか本人が亡くなっているだけに、遺族や関係者が近くにいても不明なことが多かった。 もし、死亡事故発生直後の現場に遭遇することがあれば、もう少し詳細な情報がえられ、原因究明も出来る可能性もある。 その場合は、事故現場検証に当たる警察、あるいは救命に当たる消防署などとの連係が不可欠であり、今後の課題である。 |
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